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パッチアダムスと 夢の病院 そしてカイロプラクティック

titonoyubi 2016年06月6日 カテゴリー: セラピストになったきっかけ

IMG_3741チトのゆび文庫の棚の一角にある写真

私がまだカイロプラクティックの学校に通っていた頃、

23歳の頃の写真です。

今より17年前も前の写真ということになるのに、今より老けて見えるような気がするのは

気のせいでしょうか?

調度この写真の2年前くらいに、

アナフィラキシーショックを起こして入院し、

美術大学卒業後すぐに、

カイロプラクティックの学校に入ったその頃である。

その頃の私は、焦りを感じるほどに、病気や、病院、薬、予防医学、精神世界、身体のことなどをむさぼるように欲して、探求し

ていたので、その時に知ることができたひとのなかでも、特に 心から尊敬し、勝手に 大好きと慕っていた パッチアダムス

さんが、夢の病院を作るために、日本にも運動に来ていたときの写真です。

映画でロビン・ウィリアムが演じた名作のあのご本人です。

この時 私はパッチアダムスに会える!と舞い上がって、自分の思いを沢山手紙に託して渡しました。

内容は とても恥ずかしいのです。英語もつたないので、だいたいこんな感じの内容でした。 「私は今カイロプラクティック

で予防医学を学んでいます!あなたの考えに心より賛同しています!パッチアダムスさんの病院が完成したらぜひ私を使っ

てください! 何でもします!」

この日は パッチアダムスお得意の、ピエロと お尻出し にも参加したりして、とてもとても楽しいときでした。

いまでもこのときのことを このときの頃の自分の気持ちを思い出すと 心が震えるようなきもちになるの

で その頃の自分と、その頃の気持ちとともに とても 大切な写真なので

チトのゆび の お店に飾ってあります。

「このひと誰?」 って聞いてくれたのは

いまだ 姪っ子ちゃんだけでした。

それも 不思議   純粋な心が 引き寄せられたのでしょうか?

パッチ・アダムスさんは

笑い が ひとのこころや病気を癒すことにめざ目覚め、自らも癒された経験から、

医者になることを決意。

患者を無視した権威主義、ビジネス化する医療ではなく、

愛と ユーモアを 治療に取り入れ

無料で患者を診察する共同体形式の病院施設を設立し、今もなお活動を続けているIMG_3931

そんな方です。 これからも言葉など また時々ブログに登場してもらおうと思っておりま

す!

 

 

 

私がセラピストになったきっかけ~アナフィラキシーショックと自然療法~続き

titonoyubi 2016年04月26日 カテゴリー: セラピストになったきっかけ

前回の続き~自分のいつ起きるかわからないアナフィラキシーショックへの恐怖、薬を飲み続けなければいけない憤りのようなものも感じていました。

~それを解放してくれたのは、

一年後の一人旅でした

大学の卒業旅行に海外へ1か月位の長期旅行をしたいと、ネパールを選びました。

その時私は、海外旅行にも関わらず、湿疹を抑えるための 薬を持っていきませんでした。

今でも ほんとに怖いもの知らずだと 思います。

若かった(笑) というのもあるとは思うのですが、

何か 自分の身体からの声が聞こえていたのだと思います。

身体は 知っていて 訴えていたのでしょう

ネパールでは 山のトレッキングをし、

自然のいい空気を吸い、

自然に栽培した採れたての野菜の美味しさを実感しました。

毎日 隣のに広がる田園や畑でとれた野菜やお米をたっぷり食べて過ごし、

朝明るくなると起きて、

夜暗くなると寝る…

昼はエベレストに代表されるネパールの山々を見上げ、

夜は降ってくるのではないかと思うほどの数の星をみて 寝る

という生活を続けていたら、湿疹のことなど すっかり 忘れてしまいました。   次回へ続く^^

私がセラピストになったきっかけ~アナフィラキシーショックと自然療法~

titonoyubi 2016年04月19日 カテゴリー: セラピストになったきっかけ

自然治癒力 それは人間が本来持っている宝のようなもの

私がそれを強く感じたのは 20歳過ぎの まだ学生の頃でした。
親知らずが腫れてしまって、歯医者さんで処方された痛み止めの薬と抗生物質を飲んだところ、突然のアナフィラキシーショックを発症してしまいました。
全身、内臓にまで ホルスタインのような湿疹がでてしまい、体中が腫れ、呼吸困難と痛みと痒さでのたうち回り、意識も昏睡状態で1週間ほど生死をさまよいました。一ヵ月近く入院して、なんとか腫れが収まり回復することはできましたが、その後も少しの疲れですぐに湿疹がでるようになってしまい、湿疹を抑える薬が欠かせなくなりました。

薬によって起こった症状を、更に薬によって治す、という状況に当時の私は心も身体も悲鳴をあげていたのです。

アナフィラキシーショックを発症したときの私は、美術大学生で、美術の課題の制作に追われて徹夜続き、身体も心もとても疲れ切っていた時でした。
そんな時に親知らずが痛み出し、
痛み止めと抗生物質、という 疲労で既に免疫力の低下していた身体には耐えられないようなものを、ムチのように与えてしまったのでしょう。

また、母親も、高血圧症による服薬、静脈瘤除去手術、子宮全摘出手術、と種々な症状で入退院を繰り返しており、 病院や薬についてとても考えさせられた時期でありました。
薬を飲んだり、手術したり、治療をするたびに、物理的には、悪いところを除去して、悪い症状を薬で抑えているのですが、
母は どんどん弱っている! と 感じました。
身体を動かせない状態と、お腹を切ったことによる身体の全身のエネルギーや血の巡りの滞り、たくさんの薬の副作用によって、本人の自然治癒力の働かない状態だったのでしょう。

自分のいつ起きるかわからないアナフィラキシーショックへの恐怖、薬を飲み続けなければいけない憤りのようなものも感じていました。

☆次回に続く

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